はじめに
国税庁が2025年12月に公表した「令和6年分 相続税の申告事績の概要」および「令和6事務年度における相続税の調査等の状況」は、相続税をめぐる環境が大きな転換点を迎えていることを示しています。特に注目すべきは、課税割合が初めて10%の大台を突破したことと、税務調査の件数・追徴税額ともに増加傾向にあることです。
課税割合10%超えの歴史的意義
令和6年分の相続税申告において、被相続人数(死亡者数)1,605,378人に対し、相続税の申告書を提出した被相続人数は166,730人となり、課税割合は10.4%に達しました。これは前年の9.9%から0.5ポイント上昇し、平成27年の基礎控除額引き下げ以降、初めて10%を超えた歴史的な数値です。

つまり、10件の相続のうち1件以上が相続税の課税対象となる時代が到来したということです。平成27年の税制改正により、相続税の基礎控除額が「5,000万円+1,000万円×法定相続人数」から「3,000万円+600万円×法定相続人数」へと大幅に引き下げられました。改正前の平成26年分の課税割合が4.4%だったことを考えると、改正直後の平成27年分で8.0%まで急上昇し、その後は8~9%台で推移していました。今回の10%超えは、基礎控除引き下げから10年が経過し、その影響が定着した上で、さらなる課税対象の拡大が進んでいることを意味しています。
課税対象拡大の背景要因
では、なぜ課税割合が上昇し続けているのでしょうか。主な要因として以下が考えられます。
資産価格の上昇
相続財産の構成を見ると、令和6年分では土地7兆4,074億円、有価証券4兆3,676億円、現金・預貯金等8兆5,602億円となっています。特に有価証券は前年の3兆8,779億円から大幅に増加し、12.6%の伸びを示しました。これは株式市場の好調を反映したものでしょう。日経平均株価は2024年に史上最高値を更新するなど堅調に推移しており、保有株式の評価額上昇が相続税の課税価格を押し上げたものと考えられます。
また、不動産価格も都市部を中心に上昇傾向にあります。土地の相続財産額も着実に増加しており、これらの資産価格上昇が基礎控除額を超える相続財産を持つ層を増やしていると考えられます。
高齢化と資産保有層の世代交代
日本の高齢化が進む中、戦後の高度経済成長期に資産を築いた世代が相続の主役となっています。この世代は持ち家率が高く、株式や預貯金などの金融資産も保有しているケースが多いです。人口動態的に見ても、今後しばらくはこの傾向が続くと予想されます。
税務調査の強化と追徴税額の増加
課税対象の拡大と並行して、税務調査も強化されています。令和6事務年度の実地調査件数は9,512件(前年度比11.2%増)、追徴税額は824億円(同12.2%増)と、いずれも増加しました。
簡易な接触の積極活用
実地調査だけでなく、文書や電話による「簡易な接触」も積極的に実施されています。令和6事務年度の簡易な接触件数は21,969件(前年度比17.0%増)、追徴税額は138億円(同13.0%増)と、いずれも過去最高を記録しました。これは税務当局が限られたリソースの中で、効率的に課税の適正化を図ろうとしていることの表れです。
高い確率で見つかる申告漏れ
特に注目すべきは、調査の精度の高さです。令和6事務年度の実地調査では、調査件数9,512件のうち申告漏れ等が見つかった件数は7,826件で、非違割合は82.3%に達しています。つまり、実地調査に入られた場合、8割以上のケースで何らかの申告漏れや誤りが指摘されているのです。簡易な接触でも、21,969件中5,796件で申告漏れ等が見つかっており、26.4%の非違割合となっています。
これらの数字が示すのは、税務当局が高い精度で調査対象を選定しているという事実です。「少しくらいなら大丈夫だろう」「見つからないだろう」という安易な考えで申告を行うことは、極めてリスクが高いと言わざるを得ません。
AIやデータ分析技術の活用可能性
追徴税額の増加と調査効率の向上には、デジタル技術の進化も寄与している可能性があります。国税庁は近年、税務行政のデジタル化を推進しており、CRS情報(共通報告基準に基づく非居住者金融口座情報)などの国際的な情報交換制度も活用しています。
また、膨大な申告データから不適切な申告を見つけ出す作業において、AIやデータ分析技術が活用されている可能性は高いでしょう。例えば、資産構成や取引パターンから申告漏れのリスクが高い事案を効率的に抽出し、調査対象を選定することで、調査の的中率が向上していると考えられます。実際、令和6事務年度の海外資産関連事案では、調査件数が1,359件と前年度比43.5%の大幅増を記録しており、情報収集・分析能力の向上が調査強化を支えていることがうかがえます。
重加算税の適用も増加
悪質な申告漏れに対する重加算税の賦課件数も1,065件(前年度比9.7%増)と増加しています。現金の隠匿や海外資産の申告漏れなど、意図的な脱税行為に対する監視の目が厳しくなっていることを示しています。
今だからこそ考えたい相続への備え
相続税の課税割合が10%を超えた今、「相続税は一部の富裕層だけの問題」という認識は過去のものとなりました。10件に1件以上の相続で納税が必要となる時代において、適切な相続対策がより多くの方にとって重要な課題となっています。
相続発生前にやるべきこと
まず重要なのは、ご自身やご家族の財産状況を正確に把握することです。不動産、預貯金、有価証券、生命保険など、すべての財産をリストアップし、概算の評価額を把握しておきましょう。基礎控除額(3,000万円+600万円×法定相続人数)を超える可能性がある場合は、早めに専門家への相談をお勧めします。
「争族」を防ぐために
相続税の問題以上に深刻なのが、相続をめぐる家族間のトラブル、いわゆる「争族」です。遺産分割で家族が対立し、関係が修復不可能になってしまうケースは少なくありません。このような事態を避けるためにも、生前に家族間でしっかりとコミュニケーションを取り、財産や想いを共有しておくことが大切です。
年末年始の家族会議のすすめ
年末を迎え、お正月には多くのご家族が顔を合わせる機会があるでしょう。この時期は、普段離れて暮らす家族が集まる貴重な機会です。相続について話すことは気が重いかもしれませんが、元気なうちに、家族全員が集まれるタイミングで、財産のこと、それぞれの想いを共有することには大きな意味があります。形式ばった会議でなくとも、リラックスした雰囲気の中で将来のことを話し合ってみてはいかがでしょうか。
生前贈与の活用も視野に
相続税対策として、計画的な生前贈与も有効な選択肢の一つです。令和6年度税制改正により、暦年贈与だけでなく相続時精算課税制度にも年間110万円の基礎控除が新設されました。これにより、相続時精算課税制度を選択した場合でも、年間110万円までの贈与については相続財産に加算されず、贈与税の申告も不要となっています。有効に活用できるとよいでしょう。
一方で、令和5年度税制改正により暦年贈与の持ち戻し期間が3年から7年に延長されるなど、制度は複雑化しています。実施にあたっては必ず専門家にご相談ください。
おわりに
令和6年の相続税をめぐる状況は、課税件数の増加と税務調査の強化という二つの大きな潮流を示しています。資産価格の上昇やデジタル技術の進化を背景に、この傾向は今後も続くと予想されます。
相続税が「特別な税」から「身近な税」へと変化する中、適切な知識と準備が求められる時代が本格的に到来しています。税務調査の強化により、申告漏れや不適切な申告を見逃さない体制が整いつつある今、専門家のアドバイスを受けながら適正な財産評価と正確な申告を行うことがこれまで以上に重要です。
そして何より大切なのは、相続を「争族」にしないこと。年末年始という家族が集まる機会を活かして、将来に向けた対話を始めてみてはいかがでしょうか。早めの準備と家族間のコミュニケーションが、円満な相続への第一歩となるのです。


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